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2003-05-21 23:56
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『Free as in Freedom』の第14章「Epilogue: Crushing Loneliness」の訳文(後藤洋訳)です。
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Japanese
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第14章

エピローグ: 圧倒的な孤独

生きている人物の評伝を書くことは、戯曲の上演と少し似ている。カーテン前のドラマは、舞台裏のドラマよりも、しばしば見劣りする。

アレックス・ヘイリーは、マルコム X の自伝で珍しいその舞台裏のドラマを読者に提供している。ヘイリーはゴーストライターの役割を一歩踏み出して、自分の声で本のエピローグをつくった。エピローグは、マルコム X の自伝を執筆させないようにするため、人的・政治的にバリアーを張っていたネーション・オブ・イスラムのスポークスパーソンが、フリーランスの取材者を「道具」や「スパイ」扱いして最初はどう追い出したのか説明していた。

この本とマルコム X の自伝の比較は躊躇するが、ヘイリーの率直なエピローグにはとても感謝している。それは、気難しい存在として全キャリアを築いた人物の伝記的主題の取扱説明書になって一年以上も役立ってくれた。私はこの伝記を同じようなエピローグで終えようと最初から考えていた。ヘイリーへの敬意と、この本がどうやってできたのかを読者に知らせる方法としてである。

この話の背景の話は、オークランドのアパートから始まる。その筋道は本の中で言及したシリコンバレー、マウイ、ボストン、ケンブリッジといったさまざまな舞台をまがりくねって通っているが、最終的には、世界の出版の中心地、ニューヨーク州ニューヨークと、ソノマカウンティの出版の中心地、カリフォルニア州セバストポルという二つの街の物語だ。

話は2000年4月に始まる。そのとき私は、ビーオープンという不運なウェブサイト(http://www.beopen.com/)のために記事を書いていた。私の最初の課題は、リチャード・ストールマンと電話インタビューすることだった。インタビューは成功して、VA ソフトウェア(以前の VA リナックス・システム、さらに前は VA リサーチ)が所有する人気の「おたくニュース」サイト、スラッシュドット(http://www.slashdot.org/)の特集記事のデイリーリストにリンクされた。数時間のうちに、ビーオープンのウェブサーバーはサイトをクリックする読者で熱くなった。

どの点から見ても、話はそこで終わるべきものだった。しかし、インタビューの三ヶ月後、カリフォルニア州モンテレーで行なわれたオライリー・オープンソース会議に出席しているときに、私はニューヨークの大手出版社の外国権利管理者をしているトレーシー・パティソンから次のようなメールを受け取ったのだった。

To: sam@BeOpen.com 
Subject: RMS インタビュー 
Date: 2000年7月10日 月曜日 15:56:37 -0400

拝啓 ウィリアムズ様

ビーオープンのリチャード・ストールマンとのインタビューをとても興味深く読みました。
私はだいぶ前から RMS とその仕事に興味をそそられているので、記事を見つけたときはうれしく思
いました。記事は、グニュー・リナックスとフリーソフトウェア財団によってストールマンが実現
しようとしている精神の重要なところを描き出したとても素晴らしい仕事でした。
しかし、もっと続きが読みたいのです。それは私一人ではないと思います。インタビューに
もっと広がりを持たせ、最新のものとする、ストールマンのプロフィールに焦点をあわせた情報やリ
ソースがもっとあるはずだと思いませんか。たぶん、彼の逸話的な情報と経歴をもう少し盛
りこむと、それは実に面白いものになり、プログラミングの現場の外にいる読者にとっても
啓発的なものになると思います。
メールには、その提案についてもっと話がしたいので電話をして欲しいと書いてあった。私はすぐにそうした。トレーシーは彼女の会社が電子ブックの新シリーズを始めていて、新規読者にアピールするストーリーを必要としているという話をした。電子ブックの形式は三万語で約百ページ、彼女はハッカーコミュニティの主要人物の人物像を描くというアイデアを上司に売り込んでいた。上司はそのアイデアが気に入った。そして、そのための面白い人物を探し始めたところで、ビーオープンの私のストールマンのインタビューにぶつかり、私にメールが来たというわけだった。

トレーシーは、インタビューを全体像としての長編の人物紹介に拡大する気がないかと聞いた。

ありますとも、と即答すると、それを受け入れる前に、トレーシーは、上司に見せられる企画書をまとめて欲しいと提案した。二日後、よく練った企画書をまとめて彼女へ送った。一週間後、トレーシーから結果のメールが来た。ボスはゴーサインを出したのだった。

ストールマンに電子ブックプロジェクトへ参加してもらうことは、こちら側で考え直したと認めるほかない。オープンソースの波をカバーしてきたリポーターとして、私は、ストールマンが難物だということを知っていた。私はすでに、"GNU/Linux" と言わずに "Linux" を使っていると指摘したお叱りメールを半ダースほどもらっていた。

しかし私は、ストールマンが社会の一般の人々に彼のメッセージを伝える手段を探していることも知っていた。もしかすると、彼にプロジェクトの提案をしたら、もっと包容力を見せてくれるかもしれない。だめでも、私にはいつでも頼れる豊富な文書、インタビュー、ストールマンがインターネットに残したオンライン会話記録があったため、未公認の伝記は執筆できた。

調査をしていると、2000年6月号の MIT テクノロジーレビューにストールマンが書いた「自由 - それとも著作権?」 というエッセイが見つかった。エッセイは、電子ブックをソフトウェアに対する罪に分類して酷評していた。読者が電子ブックを読むためには独占的ソフトウェアプログラムを使う必要があるばかりか、許していないコピーを防ぐために過度に厳しい手法を使っていることをストールマンは嘆いていた。透過的なHTMLやPDFファイルをダウンロードするかわりに、読者は暗号化されたファイルをダウンロードした。本質的に、電子ブックの購読は暗号化された内容を解読するための非透過的鍵の購入を意味する。公認の鍵を使わずに本の内容を開こうとする試みは、いかなるものでもデジタル・ミレニアム著作権法違反の犯罪を構成することになる。1998年の法律は、インターネットで著作権が通用するように支援するという構想だった。本の内容をオープンなファイル形式に変換した読者にも同じような刑罰が予定されていた。自宅の別のコンピュータでその本を読もうとしたにすぎないときでも、そうなのである。通常の本とは違って、読者はもはや、電子ブックを貸したり、コピーしたり、再び売ったりする権利を持っていなかった。読者は許されたマシンでそれを読む権利しかない。ストールマンは警告した。

紙の本を利用するときには、依然として私たちは昔と変わらぬ自由を有しています。しかし電子書籍が印刷された書籍に取って代わるとき、この例外はなんの役にも立たなくなるでしょう。新しいテキストを、外見上は印刷された紙のように見える媒体上にダウンロードすることを可能とする「電子インク」によって、新聞すらはかなく消滅するかもしれません。想像してみてください、もはや古本屋は存在できなくなりますし、もはやあなたのお友達に本を貸すこともできません。もはや公共の図書館から本を借りることもできませんし、支払うことなく人に読む機会を与える「漏洩」もなくなります。また、Microsoft Readerの広告から判断するに、名前を知られないようにして本を購入することもできなくなります。これが、出版業者が私たちに押しつけようとしている世界です。 1
エッセイを読んで心配になったのは言うまでもない。トレーシーも私も、彼女の会社が使っているソフトウェアについて議論していなかったし、電子ブックの使用を管理するのはどんなタイプの著作権かも議論していなかった。私はテクノロジーレビューの記事を話題にして、彼女の会社の電子ブックの方針について情報をもらえないだろうかと頼んだ。トレーシーは折り返し連絡すると約束してくれた。

早く始めたかったので、ともかくストールマンに電話をして本のアイデアを伝えることに決めた。電話をかけると、すぐにストールマンは興味と懸念を示した。「ぼくが電子ブックについて書いたエッセイを読んだかな。」と彼は尋ねた。

彼に読んだと答えたときに、私はエッセイを読んで、出版者からの返事を待っているところだった。ストールマンは二つ条件をつけた。自分が根本的に反対している電子ブックのライセンス方式に力を貸したくないし、結果として支持することもしたくない。「偽善者のように見えることには全然参加したくない。」と彼は言った。

ストールマンにとって、ソフトウェアの問題は著作権の問題と較べれば二次的だった。ストールマンは、読者が電子ブックの内容の逐語的コピーを自由につくって配布できることを、会社が著作権として明確に述べれば、出版者やサードパーティーのベンダーのソフトウェアに何を使っても喜んで無視しようと言った。彼は、可能な例として、スティーブン・キングの「プラント」をひいた。2000年6月、キングは彼のオフィシャル・ウェブサイトで連載物として「プラント」を自主出版するとアナウンスしていた。本の値段は全部で13ドル、連載の一回分は1ドルだった。キングは、読者の少なくとも75パーセントがそれぞれの章に払ってくれれば、新しい章のリリースを続けると約束した。8月までは、プランはうまくいっているようであり、キングは最初の二つの章を出版して第三章にとりかかっていた。

「こういったものは大丈夫だよ。」とストールマンは言った。「逐語的コピーも許可していれば。」

私はトレーシーに情報を送った。彼女と私は、公平な取り決めができそうなことに自信を感じ、ストールマンを電話口に呼び出して、本の最初のインタビューの段取りをつけた。ストールマンは身分問題の追加調査なしでインタビューに応じた。最初のインタビューがすむと、すぐに次のインタビューの予約を取りつけて、ストールマンがタヒチの二週間のバケーションに行こうとする前にそれを実現した(これはキヘイで行なった)。

ストールマンがバケーションに行っている最中にトレーシーから悪いニュースが届いた。彼女の会社の法務部は電子ブックの著作権告知を調整することを望まなかった。自分の本を透過的にしたい読者は暗号コードをクラックするかHTMLのようなオープンなフォーマットに変換する必要があった。そのどちらにせよ、法律違反となり、刑罰に直面することになるだろう。

二つの最新インタビューが手中にあった。ともかく、この新しい材料抜きで書くなんて考えられなかった。私はすぐニューヨーク便を手配して、代理人とトレーシーに会って妥協案を探ろうとした。

ニューヨークに飛んだ私は、私の代理人、ヘニング・ガットマンに会った。顔をあわせるのは初めてだった。ヘニングは、少なくとも、出版社側に妥協案を押し込むチャンスについては悲観的だった。既成出版社の大勢は、電子ブック形式をすでに十分疑わしいものと見ていたため、読者が支払いを回避しやすくなる著作権文言を実験するムードではなかった。しかし、ヘニングは技術書専門の代理人として、私の苦境の新奇な性格に興味をそそられた。私は、すでに集めた二つのインタビューと「偽善者のように見える」形では本を出版しないという約束について話した。私が道義的に拘束されていることに同意して、ヘニングは私達の交渉のポイントをつくることを提案した。

それがなければ、私達はいつでも飴と鞭のアプローチを取れたとヘニングは言った。飴は、ハッカーコミュニティの内的な倫理を称賛する電子ブックの出版によるパブリシティだ。鞭は、そうではない電子ブックの出版にともなうリスクだ。九ヶ月前、ドミトリー・スクリャーロフはインターネットの大義の象徴になっていた。私達は、進取の気性に富んだプログラマが電子ブックのハック方法を公開するのは時間の問題にすぎないことを知っていた。また、ストールマンの電子ブックに暗号プロテクトをかけて大きな出版社がリリースすれば、それはカバーに「この電子ブックを盗め」と書くようなものだということも。

ヘニングと会った後、飴をもっと魅力的にできないものかと思いつつ、ストールマンに電話をした。私は可能な妥協案についていくつか議論した。本の内容を出版社が別ライセンスでリリースするのはどうか。サン・マイクロシステムズがフリーソフトウェアのデスクトップ・アプリケーション・スイートのオープンオフィスで使っているようなやり方だ。出版社はすべての付属品付きで通常の形式の電子ブックの商用バージョンをリリースできる。その一方で、美しさには劣るがコピー可能なHTMLバージョンをリリースするのだ。

ストールマンは別ライセンス方式のアイデアは気にしないけれども、自由にコピー可能なバージョンを制限付きバージョンよりも劣ったものにするアイデアは気にいらないと言った。それに、と彼は続けた。サンのオープンオフィスのケースでは、別ライセンス方式はサンが意思決定を支配しないから機能してるんだが、この場合、ぼくは結果をコントロールできる。協力は断れるわけだ。

私は、さらに幾つか効果のほとんどない提案をした。ストールマンから引き出せたのは、電子ブックはすべてのファイル共有の形態を「非商用の再頒布」に制限するという譲歩だけだった。

交渉を終える前に、ストールマンは、私が会社に対して、作品はフリーにすることをストールマンと約束したと言ったらどうかと提案した。それには同意できないが、あなたの協力がなければこの本は完成できないと思っていると私は言った。ストールマンは納得したようで、いつもの締めくくりの言葉、「ハッピー・ハッキング」でお開きとなった。

翌日、ヘニングと私はトレーシーと会った。トレーシーは、会社は暗号化しない形式でコピー可能な抜粋を出版したいが抜粋は500語以内になると言った。ヘニングは、これではストールマンに対する倫理的な責任を果たすのに十分ではないと彼女に説明した。トレーシーは、例えば、アマゾン・ドット・コムのようなオンラインベンダーに対する自分の会社の契約上の責任の話をした。会社が今回だけ電子ブックの内容を公開すると決めた場合でも、パートナーに契約違反呼ばわりされる危険があった。経営陣かストールマンが心変わりしない限り、どうするか決めるのは私の責任になった。インタビューを使ってストールマンとの合意を破るのか、それとも、記者倫理を守って本をつくる口頭の約束を取り消すのか。

ミーティングが終わった後、エージェントと私は、場所を変えて三番街のパブに行った。彼の携帯電話を使ってストールマンの留守番電話にメッセージを残した。ヘニングはしばらくどこかへ行き、私が考えをまとめるための時間をくれた。彼が戻ってきたとき、手には携帯電話があった。

「ストールマンだ。」とヘニングは言った。

最初から気まずい会話になった。私は、出版社の契約上の責任というトレーシーの説明を伝えた。

「それで、」とぶっきらぼうにストールマンは言った。「何で会社の契約上の責任をぼくが気にしなきゃいけないのかな。」

大きな出版社は三万語の電子ブックのベンダーと法廷闘争になる危険があって、それは無理な注文だからと私は示唆した。

「わからないのかなあ。」とストールマンは言った。「それこそ、ぼくがこれをしている理由だよ。ぼくは合図になる勝利が欲しい。会社が従来のビジネスか自由かの選択をして欲しいんだ。」

「合図になる勝利」という言葉が私の頭にこだましている間、しばし私の目は舗道を行く人の足元をさまよった。バーに戻った私は、このロケーションがミュージシャンだった頃に私がよく演奏していた1976年のラモーンズの歌、"53rd and 3rd"の曲がり角から半ブロックもないことに気が付いてうれしかった。その歌に描かれた年中挫折している街頭のハスラーのように、まとまったと思ったとたんに話がこわれていくように感じられた。皮肉は明白だった。数週間かけて、上機嫌で他人の嘆きを記録した後で、リチャード・ストールマンの譲歩というめったにない手柄を引き出しそうとしている自分の立場に気付いた。

出版社の立場に同情して弁解し、私が言葉を濁していると、血の匂いをかぎつけた獣のように、ストールマンは襲ってきた。

「そういうわけかい? ぼくをはめて会社の意思に従わせようとしていたところなのかい? 」

私はまた二重著作権の論点を持ち出した。

「ライセンスね。」とストールマンはそっけなく言った。

「そう、ライセンス、著作権、どちらで呼んでも」と言いながら、突然、水中で血の噴流をつくっている傷ついたマグロになったように感じた。

「くそ。どうしてこんなことをするんだか。」と彼は吐き捨てた。

私のノートには、「まあいいさ。彼らのやってることが邪悪なことでも。ぼくは邪悪を支持できないけどね。さようなら。」というストールマンの最後の言葉が残っているから、私は最後まで出版社に代わって議論を続けていたに違いない。

電話を置くと、私のエージェントは新しいギネスビールをそっと注いでくれた。「これが必要かと思ってね。」と彼は笑っていった。「最後まで動揺していたようだったが。」

確かに動揺していた。動揺はギネスをしっかり飲むまで収まらなかった。「邪悪」の使者として自分のキャラクターを聞くのは変な気分だった。三ヶ月前のことを思うと、さらに変な気分だった。私は次の記事のアイデアをひねり出そうとしてオークランドのアパートで座っていた。今はロックの歌詞を通じて知っていたにすぎない世界の一部に座っていた。出版社の役員と会合を持ち、エージェントとビールを飲み、前日までは決して見ることもなかったものに目を向けていた。自分の人生を合成映画のように振り返っているようで、すべてがシュールすぎた。

その時、私の内面の不条理計測器が反応した。最初の動揺は笑いの発作に道を譲った。エージェントには、私がタイミングのずれた感情機能障害を体験している危ない別人のような作家に見えたに違いない。私はといえば、自分の状況の皮肉な利点を評価し始めたところだった。取引をするにせよしないにせよ、私はすでにかなり良い記事を書いていた。それは載せる場所をどこに見つけるかという問題にすぎなかったのだ。笑いの発作がついに収まったとき、私はコップを持って乾杯をした。

「最前線へようこそ。」と言って、エージェントのグラスにかちんとあわせた。「楽しまなくっちゃ。」

この話が本当は戯曲だったら、ここにロマンチックな幕間劇が入るところだ。私達のミーティングの緊張した性質にがっかりしたトレーシーが、同僚とお酒を飲みに行こうと私とヘニングを誘った。私達は三番街を後にしてイーストビレッジに向かい、トレーシーとその同僚たちと落ち合った。

そこでは仕事の話を注意深く避けてトレーシーとおしゃべりをした。会話は楽しくてリラックスした。別れる前には翌日の夜に会う約束をした。繰り返すと、会話は愉快で、ストールマンの電子ブックがほとんど遠い記憶になるほど、とても楽しかった。

オークランドに帰ってから、ジャーナリストの友人知人に色々と電話をかけた。私は苦境について詳しく説明をした。インタビュー前の交渉でストールマンに多くを与えすぎた点を叱る意見が多かった。元法学部教授は、「偽善者」についてのストールマンのコメントを無視して記事を書けばいいだけだと示唆した。ストールマンのメディア通を知っている記者は同情を示したが一様に同じ答えを返してきた。それがきみの天職だ。

私は本を後回しにすることに決めた。インタビューさえ、あまり捗らなかった。なにしろ、そうすれば、ヘニングにまず相談しなくても、トレーシーと話していられた。クリスマスには、私達はもうお互いを訪問しあっていた。彼女はウエスト・コーストに飛行機で一回、私はニューヨークに二回脱出した。大晦日の前日、私はプロポーズした。西海岸と東海岸のどちらに住むか、私はニューヨークを選んだ。二月までに、ラップトップ・コンピュータとストールマンの伝記の調査ノートすべてを荷造りして、私達はJFK空港に向かって飛び立っていた。トレーシーと私は五月十一日に結婚した。失敗した本の詳細は、こんなところだ。

夏の間に、インタビューノートを雑誌記事にするために、しっかりと考え始めた。倫理的には、そうしても問題ないと感じた。なぜなら、伝統的な印刷メディアについては、オリジナル・インタビューの条件は何も言っていなかったからだ。正直なところ、八ヶ月間の電波沈黙時間の後、ストールマンについて書くことはやや快適でもあった。九月の電話での会話以来、ストールマンからはメールを二通もらっただけだった。どちらもウェブマガジンのアップサイド・トゥデイの一組の記事の中で「GNU/Linux」と書かずに「Linux」を使っているとのお叱りだった。それを別にすれば、私は音信不通を楽しんでいた。六月に、ニューヨーク大学でスピーチをした約一週間後、突然、ストールマンについて5千語の雑誌向けの長さの記事を書いた。今回は、言葉が溢れてきた。失われた感情的遠近が回復するのを距離が助けたんだと私は思った。

七月、トレーシーに最初のメールをもらってから丸一年後、ヘニングから電話がかかってきた。彼は、カリフォルニア州セバストポルの出版社、オライリー・アソシエイツがストールマンの記事の連載を伝記として関心を持っていると告げた。私はそのニュースを聞いて喜んだ。世界に数ある出版社の中でも、オライリーは、エリック・レイモンドの 伽藍とバザールを出版した会社だから、はじめの電子ブックを没にした問題に一番敏感だろうと思われた。取材者の一人として、私はオライリーの本、オープンソースを歴史的参照文献として重用していたが、ストールマンの執筆部分を含む、本の幾つかの章は、再頒布を許可する著作権告知付きで出版されていることを知っていた。電子的出版が再び問題となったとき、そういう知識は役に立つだろう。

はたせるかな、その論点が問題となった。私はヘニングを通じて、オライリーは伝記を書籍としてだけではなく、新しいサファリ技術書オンライン購読サービスの一部としても出版するつもりだということを知った。サファリのユーザーライセンスには特別の制約が含まれていた。1ヘニングは注意を促したが、オライリーは、媒体の如何を問わず、ユーザーが本のテキストをコピーし共有することを許可する著作権とする意向だった。著作者としては、基本的に、二つのライセンスの選択肢があった。公開出版ライセンスかGNUフリー文書利用許諾契約書かである。

私はそれぞれのライセンスの内容と背景を細かく検討した。公開出版ライセンス(OPL; Open Publication License)2は、複製された作品が公開出版ライセンスを維持している限り、作品の複製と頒布をする権利を読者に与える。作品全体または一部分を、「物理的または電子的」媒体の如何に関わらず、複製し頒布することができる。一定の条件に従う限り、作品の修正も許可されている。最後に、公開出版ライセンスは幾つかの選択条項を持っている。著作者が選択条項を選んだ場合には、著作者の事前の承認のない「実質的な修正」版の制作や書籍の形式の派生物を制限することができる。

他方、GNUフリー文書利用許諾契約書(GFDL; GNU Free Documentation License)3は、その結果つくられる作品が同じライセンスを持っている限り、全ての媒体に、文書をコピーし頒布することを許可する。一定の条件に従う限り、文書の修正も許可する。しかし、OPLとは違って、一定の修正を制限するオプションを著作者に与えない。それは競争力のある本の製品という結果になるかもしれない修正を拒否する権利も著作者に与えない。しかしながら、それは、著作権者以外の当事者が、保護された作品を百部以上出版したいときには表紙と背表紙の一定の形式を要求する。

ライセンスを調査する過程で、GNUプロジェクトの「さまざまなライセンスとそれらについての解説」というウェブページもちゃんと見に行った。4そのページで公開出版ライセンスに対するストールマンの批判も見つけた。ストールマンの批判は、修正された作品の創造とOPLの選択条項が著作者に修正を制限する力を与えることに関係していた。もし作者がどの選択条項も選びたくないなら、かわりにGFDLを使うほうが良かった。そうすれば、修正版に選択条項が突然現われるという選択条項不使用のリスクを最小化できるからだとストールマンは注意していた。

どちらのライセンスでも修正が重要なのは、ライセンスの当初の目的を反映していた。ソフトウェアのマニュアルの所有者がマニュアルを改良してコミュニティに公表する機会を与えることである。私の本はマニュアルではないから、どちらのライセンスの修正条項もほとんど心配しなかった。私の唯一の関心は、読者に本のコピーを交換するか内容のコピーをつくる自由を与えること、ユーザーがハードカバーの本を購入したら享受できる同じ自由を与えることだった。どちらのライセンスもこの目的に適していると判断して、オライリーの契約書が届いたとき、それに署名した。

それでも、無制限の修正という観念は私の興味をそそった。トレーシーとの交渉で、私は最初の頃は、GPLスタイルのライセンスが持っている電子ブックの内容に対するメリットを説いていた。最悪の場合でも、ライセンスは電子ブックのために大量のパブリシティを保障するだろう。うまくいけば、本を著述するプロセスへの読者の参加を促進するだろうと私は言った。作者の一人として、掲示のトップに常に私の名前がある限り、私は喜んで、他の人々が私の作品を改められるようにしたい。それに、本が進化していくのを見るのは、興味深いことでさえあるかもしれない。私は、中央のコラムに私の本文があり、それをかこむ第三者の解説で内容が明らかにされているタルムード(Talmud)のオンラインバージョンそっくりにみえる最新版を思い描いていた。

わたしのアイデアは、テッド・ネルソンが1960年に考えた伝説のソフトウェア概念、プロジェクト・ザナドゥ(http://www.xanadu.com/)からインスピレーションをひきだしたものだ。1999年のオライリー・オープンソース会議の間、プロジェクトのオープンソースの分枝であるUdanaxの最初のデモを私は見ていた。その成果に参加者は喝采を送っていた。ある一つのデモの中で、Udanaxは親文書と派生作品を相似の二つのコラムの中にプレーンテキスト形式で表示していた。ボタンをクリックすると、プログラムは、親文書の各センテンスをリンクしている派生作品の概念上の分枝の文字列を取り入れた。電子ブックのリチャード・ストールマンの伝記はUdanax使用可能じゃなくてもいいが、そのような技術的可能性が与えられているときに、それをいじるチャンスがユーザーに何で与えられないのだろう。5

私のオライリーの編集者、ローリー・ペトリッキから、OPLかGFDLかという選択肢を与えられたとき、私は再びファンタジーにふけった。私が契約にサインした2001年秋には、電子ブックは無用の話題になっていた。トレーシーの会社を含めて、多くの出版社は、利益が出ないという烙印を押して電子ブックを中止していた。何でだろう。もしも、これらの会社が電子ブックを出版形式の一つとしてではなく、コミュニティをつくる形式の一つとして扱っていても、これらの烙印は存続するのだろうか。

契約書の署名後、私はストールマンに本のプロジェクトを再開したことを伝えた。私はまた、オライリーが公開出版ライセンスかGNUフリー文書利用許諾契約書かを選ぶ選択権を私に与えてくれたことも話した。私は彼に、別の表紙で同じ本を印刷するチャンスをオライリーの競争相手に与えないという理由だけなら、OPLがいいと思っていると話した。ストールマンは、GFDLを擁護して、オライリーはすでに何度かGFDLを使っていることを指摘した返事の手紙をくれた。私は、これまで色々あったが、取引をしたいともちかけた。もしも、さらにインタビューする機会を与えてくれて、オライリーが本を出版することを助けてくれたら、私はGFDLを選ぶという条件である。ストールマンは、さらにインタビューに応じることに同意したが、宣伝関係のイベントに参加するかどうかは本の内容次第だと言った。これを唯一フェアなものだと考えて、2001年12月17日にケンブリッジでインタビューすることにした。

私はインタビューを、妻のトレーシーのボストン出張にあわせて設定した。出張の二日前、トレーシーはストールマンをディナーに誘うことを提案した。

「結局、」と彼女は言った。「彼が私達をひき会わせたんですもの。」

私はストールマンにメールを送り、すぐにストールマンは申し出を受けるという返信をくれた。翌日、車を運転してボストンへ行き、ホテルでトレーシーに会って、タクシーに飛び乗り、MITに直行した。私達がテク・スクエアに到着して、ドアをノックしたとたん、おしゃべりの真っ最中のストールマンを発見した。

彼は「どうぞそのまま、気になさらないで。」と言ってドアを大きく開いたので、トレーシーと私は会話の相手方をおおっぴらに聞くことができた。若い女性で、二十代なかばくらい、名前はサラ。

「勝手ながら、ディナーを御一緒する人を誘いました。」パロアルトのレストランのときと同じで、静かに微笑みながら、当然のように、ストールマンは言った。

正直に言えば、私はあまり驚かなかった。ストールマンに新しい女友達ができたというニュースは、ストールマンの母の厚意で、二、三週間前に届いていた。「実は、先月、リチャードが武田賞を受け取りに行ったときは、二人とも日本に行っていたのよ。」とそのときリップマンは語っていた。6

レストランに着くまでの間に、サラの事情とリチャードの最初の出会いを聞き出した。興味深いことに、その事情は私にとてもなじみ深いものだった。彼女は自分の小説を書いているときに、ストールマンについて耳にした。そして何て興味深いキャラクターなんだろうと思った。彼女はすぐ自分の本にストールマンのキャラクターをつくることを決め、キャラクターを研究するためにストールマンとのインタビューを計画した。そこから状況は急に動き始めた。二人は2001年の初めからつきあっているのだと彼女は言った。

ストールマンの魅力を説明して、サラは言った。「深遠な個人的心配の問題を解決するために政治的運動全体を築いてしまうリチャード流は見事だと思いました。」

私の妻がすぐ質問を投げ返した。「問題って何だったのかしら。」

「圧倒的な孤独。」

ディナーの間、女性達が話すのにまかせて、私は最近の一年でストールマンが柔らかくなったかどうか手がかりを探ることにほとんどの時間を使っていた。私は何もそれらしいものを得られなかった。私よりもいちゃいちゃしていたくせに、私のいちゃいちゃはストールマンの視線が妻の胸に何度か止まったときは幾分スポイルされたのだったが、ストールマンはいつもの棘のある一般的レベルにとどまっていた。あるとき、妻が強い口調で「とんでもない("God forbid")」と言って、典型的なストールマンの叱責を頂戴した。

「恐縮ですが、神はいないのです。」

その後、ディナーがすっかり終わって、サラが帰ったとき、ストールマンはガードを少し下げたように思った。近所の本屋に向かって歩きながら、彼はこの一年は彼の人生の展望を劇的に変えたことを認めた。「ぼくは永久に一人で行くのかなと思っていたけど。」と彼は言った。「間違っていて良かった。」

別れる前に、ストールマンは、彼の住所、電話番号、お気に入り(良い本、良い食べ物、異国の音楽とダンスを共有すること)を一覧にした名刺("pleasure car")を私に手渡し、最後のインタビューを予定した。

翌日、点心の食卓のむこうで、ストールマンは昨晩よりもっと恋に夢中のように見えた。カリアーハウスの寮母たちとした不死の利益と不利益についての議論を思い出しながら、ストールマンは、いつの日か科学者が不死への鍵を用意する日がくるかもしれないという希望を語った。「ついに幸せな人生を始めた以上、もっと続いて欲しいもんだね。」と彼は言った。

「圧倒的な孤独」というサラのコメントに私が言及したとき、ストールマンは、肉体的または霊的レベルでの孤独とハッカーレベルの孤独との間の結びつきを見ることに失敗した。「コードを共有する衝動は友情だけど、かなり低いレベルの友情だ。」しかし、その後再びその主題になったとき、ストールマンは孤独、すなわち、永久的な孤独への惧れがGNUプロジェクトの最も初期の日々の決心に燃料を供給する主な役割を果たしていたことを認めた。

「ぼくがコンピュータに魅せられるのは何か他のことの結果じゃない。」と彼は言った。「もしも、ぼくが人気者で全ての女性がぼくに群がっても、コンピュータの魅力が減ることはない。でも、ぼくには家はないと感じること、それを見つけて見失うこと、壊されたものを持っているとわかることの経験が、ぼくに深く影響したというのは確かに真実だ。ぼくが失ったものの一つは共同寝室だ。壊されたものの一つはAIラボだ。どんな家もまたはコミュニティも持たないことの不確かさは非常に強力だ。それは取り戻すために戦おうという欲求を与えた。」

インタビュー後、感情的均衡の確かな感覚を感じずにはいられなかった。サラがストールマンの何に惹かれたか描写するのを聞いたとき、ストールマン自身がフリーソフトウェア運動に導いた感情を語ったとき、私は、この本を書いている自分自身の理由を思い出した。2000年7月以来、ストールマンのペルソナの魅力と不快さの両方を評価することを学んできた。エーベン・モグレンが以前に私に語ったように、付随現象として個人を切り捨てたり、フリーソフトウェア運動全体の関係を見失ったりすることは、ひどい間違いだと感じた。色々な意味で、その二つは見分け難い形で相互に結びついているのだ

この本を読んだ後で、ストールマンに対して全員が同じレベルの共感を持ってくれるとは思わない。実際、共感ゼロの人もいるかもしれないが、多くの人は認めてくれるだろう。リチャード・ストールマンのような非凡な人物の肖像を提供できる個人は稀にしかいない。この最初に完成したポートレートにより、またGFDLの助けにより、その人自身のパースペクティブをポートレートに加えたいという同じ強い欲求を他の人が感じることを切に希望している。

Endnotes

  1. リチャード・ストールマン著 「自由 - それとも著作権?」 (2000年5月)
    http://www.gnu.org/philosophy/freedom-or-copyright.ja.html
  2. See "Safari Tech Books Online; Subscriber Agreement: Terms of Service."
    http://safari.oreilly.com/mainhlp.asp?help=service
  3. See "The Open Publication License: Draft v1.0" (June 8, 1999).
    http://opencontent.org/openpub/
    公開出版ライセンス(非公式日本語訳)
    http://homepage2.nifty.com/gimpman/copyright.html
  4. See "The GNU Free Documentation License: Version 1.1" (March, 2000).
    http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html
    GNUフリー文書利用許諾契約書(非公式日本語訳)
    http://www.opensource.jp/fdl/fdl.ja.html#SEC1
  5. さまざまなライセンスとそれらについての解説
    http://www.gnu.org/licenses/license-list.ja.html
  6. この本をXanaduのフリーソフトウェアバージョン、Udanaxに「移植」したい人は、私からの熱烈な支援を受け取るだろう。この好奇心をそそるプロジェクトについて、もっと知りたい人は、http://www.udanax.com/を参照。
  7. ああ、私は、「人類に富と豊かさ・幸福をもたらす工学知の創造とその活用において、顕著な業績をあげた」リーナス・トーバルズと坂村健とストールマンに武田計測先端知財団が授賞を決定したことを、ストールマンが賞を受け取りに日本旅行するまで、知らなかった。賞と100万ドルの賞金について詳しくは財団のサイトへ。(三人の興味深いスピーチも読める-訳者_)
    http://www.takeda-foundation.jp/