長南です。 > > > ○ 翻訳履歴について > > 翻訳履歴を書くべきとするお考えに関してですが、 > > 私は面倒だから反対です。今の世において > > そんなことをする必要を感じません。なぜなら > > 我々は git システムを使っているからです。 > > git log を見れば一目瞭然で、誰が何を > > したか、どの文面がどの文字が誰の変更に > > よるものか、そして極論すればその変更改修 > > によって著作権の帰属が(共同)著作者の > > うちの誰に及ぶか、など、完璧に判明する > > はずだからです。 > ここまでは同意します。「個々のpushで」「何を」やったのかはgitで追跡可能です。 git log は、内輪で見るものです。それに対して、各マニュアルに付いている 翻訳履歴は外に対して見せるもの。言わば、書籍の奥付のようなもので、 両者は別のものです。だから翻訳履歴も必要だと思うわけです。 それに、メールによる投稿の場合には、翻訳者とコミットする人が別人になります。 また、何人かの共訳という場合もあります。それから、JM 以外の場所で、たとえば、 どこかのディストリビューションで、独自の改訂がなされることもありえます (Vine がまだ元気だったころ、実際にそういうことをやりかけたのを見ています)。 そうした場合も考えると、やはり翻訳履歴があった方がよいと言えるのではないでしょうか。 もう一つ。現在は、翻訳履歴が付いているわけですが、以後付けるのをやめてしまうと、 最後の改訂者として書き込まれている人に、自分がやったのではない新しい改訂にまで 文責があるように見えてしまいます。それはまずいでしょう。 だからといって、翻訳履歴をまったく書かないことにしてしまうと、今度は 先人たちの業績を消してしまうことになります。先人たちへの感謝をなくして しまうのもまずいでしょう。 -- 長南洋一